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2009年1月12日 (月)

p-11 ラーシュの家の前まで行ってきた I stood in front of Lars Hollmer's house

Ramlosa 1月2日、Lars Hollmerの家の前まで行った。

28日朝、訃報を受けて涙が止まらなかった。しかし、感情表出の不得手なオヤジがいくらメソメソしたって、悲しみは発散されない、むしろ沈殿・鬱積していくばかりだ。やがてそれは耐え難い重圧となって、私を打ちのめした。うわごとのように思い続けた、「スウェーデンに行きたい、彼にお別れを言いに。スウェーデンに行かなくちゃ。どうしても、スウェーデンに行かなくちゃ。」しかし当日の葬儀には行けるはずもない。せめて墓参がしたい。12月29~31日は、一年で一番業務が大変で他人に任せられない時期、次いで1~4日は正月休みだ。4日間でヨーロッパ往復なんて無茶だが、これを逃すとその後は長い休みなんて取れそうも無い。この4日で行くしかない。時期が最悪だから期待せずに航空券を探したら、ムカツク高値だけど、あった。空港までの往来と現地のホテルも、なんとかなる。移動に3日以上費やすから現地滞在は2泊、つまり1月2日の丸一日だけ。それでも予約してしまった。しかし、それを伝えたラーシュの友人からの返事は、先日書いた通り「遺体は病院で保管されている。ご家族を4日か5日に訪問するつもりだ。今からプランを練って1月末にmemorial serviceをやるから、出直したほうがいい。」というものだった。

亡骸との対面も、ご家族と会うのも、お墓に参るのも、式に出るのも、全てダメってことだ。いいよ、それでもいい。行く。諸条件が許すのはこの日程だけだし、とにかく現地に行きたかった。

Siberia 元旦に成田を出発した。機中から見えたシベリアの山河は、ラーシュの遺作となった「ヴィアンドラ Viandra」のジャケットアート、彼の作ったフォトコラージュの背景になっている光景ときっと同じだ。日本へ何度も来た彼は、これを何度も見下ろして物思いにふけったに違いない。

Terminal  翌2日。ウプサラ駅前のターミナルは工事中で、車が入れなくなっていた。2年前、ラーシュはここで、日産のオンボロセダンで私を待っていた。そしてここで、彼と別れた。ハグして、「また会おう」と言って。

賑やかだけど小さな駅前エリアをうろつき、ハサミとセメダインを買った。そしてタクシーに話しかけた。彼の住所を見せて、ここに行きたいと伝えた。Norrgården Nyvlaが、昔から彼のアルバムにも載っている彼の住所だ。Fred Frith / Gravityでは曲名にもなった。しかしそれは、ウプサラ郊外に無数に散らばる、5~10戸くらいの小村のひとつだ。親切な運転手はカーナビ・ハンディナビで検索してくれたけどヒット無し。携帯であちこちに問い合わせしてから「およそしか分からないけど、行くか?」と言ってくれた。もちろん「行こう!」と言った。

Waytonorrgardennyvla 駅前から数分走るともう、雪原と叢林ばかりの単調な景色になる。以前来た時の記憶を訊ねられた、「ここは通ったか?ここに憶えは?」初めのうちは記憶どおりだったが、なにしろ同じような風景ばかりで、やがて分からなくなった。タクシーは迷走するばかり、人でもいれば訊ねることもできるが、人っこ一人見かけない。以前来た時も思ったことだが、旅人にはファンタジックな光景だけど、あの寂しがり屋のラーシュが、こんな寂しい所に住んでいたなんて…ようやく通行人を見つけて道を尋ね、彼の家を発見した。黄色いドアの横に、スウェーデン国旗が掲揚されている。半旗だ。

「ちょっと離れた所に停めてくれ、ご家族を煩わせたくない。5分時間をくれ。」とタクシー運転手に言った。家の前の道から、家に向かって祈った。言葉にならない思いを念じただけだが、今改めて、その時の思いを言葉にすることを試みた。

Me 「素晴らしい音楽をありがとう。友人と言ってくれてありがとう。あなたの晩年は苦渋に満ちたものになってしまったけれど、私は頼りない相談相手でごめんなさい。でもあなたは、立派に重荷に耐えて見せた。素晴らしい生き様を見せつけてくれて、ありがとう。今は神様が、全てを許してくださっていると思います。全てから解放された今、どんな気持ちですか、新曲が浮かびますか。私がいずれそちらに行った時には、その曲を聴かせて下さい。さようなら。」

次いで、庭にお賽銭を投げた。日本では正月に、神様に対してこうするんだよ。あなたは私の神様だったんだから。そして植え込みの下に、昔書いたラーシュのソロアルバム「アンデターク」のライナーノーツを埋めようとしたが、持参のハサミでどんなにガシガシやっても、凍結した地面はまるで岩のようだ。上手く埋められなかったけれど、雪や落ち葉でなんとか覆い隠した。そしてわずかに掘れた土を、空気と一緒にRamlösaのボトルに詰めた。あと、運転手に記念写真を撮ってもらった。それが、限られた条件の中で、私に出来たことの全てだったのだ。そそくさと帰路に就いた。

敗れた甲子園球児のような私の姿を、運転手はどんな思いで見ていただろう。「変だったでしょ?」「いや、俺にはよく分からないが、日本の文化だから尊敬するぜ。」尊敬する異文化を誤解させて、すみません。全然日本流じゃない、オレ流なんです。そしてそれを、空から見下ろしていたはずのラーシュは?彼はブラックジョークやボケツッコミみたいなのが結構好きだったんだが、私は英会話がヘタなせいで、たまに天然ボケ役になってしまった。「じゃあ明日、11時に集合ですね」と言う時、tomorrowをなぜかyesterdayと言ってしまった。その時彼が、腹を抱えて爆笑して、ヒーヒー言いながら私を見ていた、その目が思い出される。ええ、いまだにボケたことばっかやってますよ、笑ってもらえましたかね…ちなみに後でご家族には、お悔やみに加えて、家の前で変なことしてすみませんと詫びる手紙を出した。

再びタクシーに、ウプサラ市街のCafe Fredmans跡地に連れて戻ってもらった。Fredmansは’97年、私が初めてサムラのライヴを観て、初めてラーシュと出会った場所だ。Anekdotenのメンバーに連れて行ってもらい、店はManticore(現地のプログレバンド)の人がやっていたが、今は店じまいして違う店になっているという話だった。お世話になったタクシーとはここでお礼を言って別れたが、店は記憶と全く異なっていた。本当にここかあ?

Uppsaladomkylka そこから徒歩でウプサラ大聖堂へ。2年前、彼が案内してくれた場所だ。私は歩くのが速い方で、誰かと歩いているといつの間にか先に行ってしまうことが多いのだが、彼と歩く時だけは、取り残されないよう必死だった。ラーシュはとにかく、歩くのが速かった。人生の歩みも…大聖堂はプロの写真家が何日張り付いても、その魅力を表現しきれないのではないか。内から外から、どこをどう切り取ってみてもフォトジェニックな造型、そして日本の神社仏閣でも感じられる、あの時間が止まったような空気感も。そんな場所を、ラーシュは愛していた。大聖堂前のベンチに座って、土と空気を詰め込んだRamlösaのボトルキャップ周辺を、セメダインで固めて空気が漏れないようにした。

Stone 彼が案内しようとして果たせなかった、大聖堂横手の小さな聖堂は、ボトルの横に写っている。中は展示物など無くて、小規模の教会だったが、こぢんまりしたたたずまいに、隣の大聖堂とは違う雰囲気があって、これはこれでラーシュが好きだったのもわかる気がした。奇石の乱立する公園も再訪した。改めて、これって何?ウロボロスの竜?結局ウプサラ滞在は4時間程度で帰ってきた。とても個人的で一方的な巡礼の旅だったけど、おかげで持ち直しつつある、かな。

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コメント

本座村さん,おひさしぶりです.
このブログはときどき読ませてもらってます.

Lars Hollmerさんが亡くなったこと,
Univers Zeroのページの掲示板で,
さっき知りました.

すばらしい追悼記事ありがとうございます.
ウプサラまで駆けつけられたこと,
僕らのかわりにありがとう.
感謝としかいいようがありません,,

投稿: 石原茂和 | 2009年1月31日 (土) 08時36分

うわー石原さん!?ご無沙汰御礼です。いろいろ教えていただいたのはいつでしたっけ、もう十数年前でしょうか。あれから、北欧ヲタクだった私も、3回スウェーデンに行く機会を得ました。海外渡航はその3回しか経験がありません。

1回目でサムラと会い、2回目でラーシュの家に行って、3回目が…(;_;)

別にファン代表で行ったつもりじゃなく、ご家族にさえ申し訳ないような勝手な行動でしたが、そう言っていただけるとホッとします。ありがとうございます。

投稿: 本座村 | 2009年2月 2日 (月) 01時21分

ええ,その,すごく前にいろいろご連絡していました
石原です.なんとかやっています.本座村さんもお元気のようで安心です.

私のほうは,専門の仕事のせいで,ここのところは
毎年スウェーデンのどこかへ行っています.
ただ,地方ばかりで,有名バンドのライブを
見る機会は,ついぞないのが残念です.

それはさておき..,
こういった形で,追悼の意を表して頂き,
ブログに載せてもらって,みんなで共有させて頂いている
ことに感謝です.

おっさんがそれぞれにしょんぼりしても何もなりませんけれど,
誰かの(本座村さんの)偉大な行動があれば,
それに賛辞を送るぐらいは,せめて表したい.

投稿: 石原茂和 | 2009年2月 4日 (水) 09時34分

過分なお言葉かも、でもありがとうございます。

私は、取り残されてしまったのかな。でも、取り残されたとしても、それぞれが自分だけの為せる事をいっぱい持っているはずで、ラーシュもそんなアレコレを、きっちり表現してきたはず。及ばずながら…どうせ死ぬんだから、目一杯生きないと。

なんて、思うことが増えました。

投稿: 本座村 | 2009年2月 4日 (水) 22時40分

偉大な先達達が天国にいってしまうことも多いのですが
その遺産を消化して何かをつくるしかないと
思っています.

Lars とSMMは,スウェーデン人にしかできない曲を次々と
作り続けることで,ここまでの業績をなしとげたわけですよね.
私のほうも,おっさんの年になるにつれ,海外にいく機会も
増えるにつれ,
日本人しかできないものは何だろうとよく考えます.
それで,武満徹さんの曲や,分析本を最近よく聞いたり
読んだりしています.

投稿: 石原茂和 | 2009年2月 5日 (木) 09時46分

つまんない愚痴にお付き合いいただいて、本当に申し訳ない。石原さんの興味の発展が、とても好ましく思えます。

今この時の各自が、やれること、考えられること、思えることって、それぞれ限定的だし不確かなのに、でもかけがえのないことなんですよね。ラーシュのライヴを思い出して、そう思ってしまいます。

投稿: 本座村 | 2009年2月 9日 (月) 23時11分

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