samla text

2009年7月 5日 (日)

st-12 「Schlagerns~」プロモ盤付属のリーフレットより訳出

「Schlagerns~」プロモ盤LP付属のリーフレットより訳出。'78年の時点で、Lars Hollmer自身が書き下ろした、その時点までのバンドのヒストリーと自己評価だ。

p4/p1        p2/p3Zmmpromo4Zmmpromo5_2         

サムラは1970年にウプサラ郊外の「鶏小屋(chickenhouse)で結成された。当初、その活動はテープレコーダーで録音された、異なる雰囲気の状況で作られた即興の音楽だった。その後、その材料から異なる音の素材を拾い集めて曲を創った。成功した即興の多くはカットして保存された。
1970年のウップサラ民俗音楽祭でサムラは始めて公の場に姿を現した。バンドはラーシュ・ホルマー(電子ピアノ)、ハッセ・ブルニウソン(ドラム)、ラッセ・クランツ(ベース)、ベッベン・ウーベリ(コンガ・打楽器)から成ってイいた。
新しく出来たレコード会社「サイレンス」がそこに来ていて、サムラの音楽に閃くものがあると感じたことが、その年の夏の終わりにLPレコードを出すことに繋がった。レコーディングはスタジオではなく「鶏小屋」で行われた。それは処女作に特別な雰囲気と音・独自のインスピレーションを創り出した。自宅のレコーダーで録音したのも、機先を制していた。(Silence SRS4604)
1971年の終わりにベッベン・ウーベリがバンドを去り、僕たちは3人でバンド活動を続けた。1971-72年に他の演奏と混ざった幾つかの国内コンサートツアーが続いた。72年の夏にはコステ・アペトレアと出会った。同年のノルボッテンのツアーではコステが立ち上がってサムラのギタリストとして加わった。
もう一つのメロディを奏でる楽器(ギター)が加わったことで、音の構成が変わり、音により複雑な特性を与えた。
最初のレコードで既にその傾向が見られる、いわゆる「LEGOMUSIC
ERANDET」(サムラが自らの音楽を表現した造語だが、LEGOはオモチャのレゴブロックのこと。レゴ細工のように、異質の素材を持ち寄り組み合わせた音楽という意味であろう)は以前より多くの人に受け入れられ、力強く発展した。

73年の夏に僕らは「Måltid ごはんですよ!」のレコードを出し、それはとてもポジティブな評価をスウェーデン中から受けた。
曲の中の複雑さはよりしっかりとした形をとり、僕らのいわゆる“言葉のない歌”はより受け入れられるようになった。
73年の夏以降、僕たちはそれまでに考えられないくらい多くのツアーを行った。スウェーデンとノルウェーの両国をツアーして回った。フィンランドのあるイベントでの演奏で、僕らはフィンランドのミュージシャンの何人か(ペッカ・ポーヨラ、ジム・ぺンブロークなど)と仲良くなった。その結果、フィンランドでのコンサートツアーを幾つかすることになった。

1974年の夏に僕たちはストックホルムのグルーナ・ルンド(屋外遊園地、野外コンサートの会場になることも多い)で演劇を演じようとして、失敗をした。内部の問題や、協働作業の難しさから、その作品の芽は2回のパフォーマンスの後摘み取られてしまった。
しかし、リハーサルの間にたくさんの音楽が創られ、その一部は1974-75年の冬に出来上がったKlossa Knapitatet のレコードに収録された。(Silence SRS 4627)
1975年の間中、僕たちは元気にコンサートツアーをこなしていった。中でも、イギリスの多才なミュージシャン、ロン・ギーシン(Ron Geesin)と近づくことが出来、親交を深めた。僕たちとロンは一部のライヴ‐即興をスウェーデンとフィンランドで一緒に行った。
ロンとの関係は続いており、恐らく今後も僕たちの間でいくつかのプロジェクトを作ることになるであろう。
1976年の春にグレッグ・フィッツパトリックは僕たちに連絡をしてきて、彼自身が数年にわたって磨き上げてきた4つのセクションからなる作品をアレンジして、演奏してほしいと依頼してきた。僕たちはそれを承諾し、友人・知人のネットワークから選んだ2人の吹奏楽器奏者;カッレ・エリックソン、オルタン・ワランダーと一緒にその作品を76年の夏に演奏した。
このさまざまな場所での果てしないツアーや、果てしない数のコンサートによって、僕たちはステージで披露していた自分たちの演奏の批評や分析をする時間がほとんど取れなかった。僕たちは徐々に音楽的な言語のある瞬間に近づき、1976年の秋に僕たちは根本的な意見の相違から、2つに分裂した。その結果、僕たちは2つの別々の方向に分かれ、実質的にはコステ・アペトレアがバンドを離れた。
そのプロセスは形ある結果が見えるまで、長い時間を要した。僕たちは1976年の秋中、活動を休止したが、皆それぞれ音楽活動には関わっていた(音楽理論、V-A大学、音楽協会など)。
その音楽活動休止は、1970年から始まった僕たちの音楽活動で、唯一の空白期間である。

その休止は、バンド内でしばしば議論になり問題になっていた、メンバー間の関係性や音楽の目標設定に関してポジティブな影響を及ぼした。サムラはその存在期間中、ずっと様々な形での即興にかかわった。それ(即興)が全ての始まりだったし、音楽的な素材のほとんどは「まずはジャムから」だった。しかし、聴衆(ファン)のサムラに対する期待が高まり、「即興の言語」の境界線に関する意見の相違が僕たちメンバーの間に生じて、僕たちは自分たちの音楽素材の中でより一層確率論的な形式に固まってしまい、自分たちのパフォーマンスにおいて、より月並みな目標から抜け出ることが難しくなっていった。

1977年の春にサムラは新しいギタリスト、Eino Haapalaを迎え、彼は今もグループに留まっている。Einoのメンバー加入はバンド内の音の創りに変化をもたらし、それと我々の“新しい”音楽が一緒になってZamla(そう、今後は新しくZを使うことになった!)に新しい特徴を与えているが、それは恐らく様々な関係において、それがSamlaだと分かる特徴でもあるだろう。

我々はその前年、即興の演奏の多くにテープレコーダーを持ち込んで、その結果を「För Äldre Nybegynnare」(サイレンス社SRS4640 A)というレコードに集約した。サムラは「LEGOMUSICERANDET」を完全に捨てることは出来ない。というのは、それは即興と同じくらい我々にとって大事な部分だからである。
音楽に関するアイデアを聴覚化すること程ではないが、この大事な部分(LEGOMUSICERANDET)は、しばしば即興という状況において単に写生的になり、稀にしか具体的な形にならない。
完全な即興は聴衆の観点からすると狭いが、より築き上げられた素材と合わさることで、即興が形成されるにあたって、視覚的・音響的・非音響的・感情的な関係においてより複雑なところで“多く”の構成が機能する。
従って僕たちは即興の作品の他に歌詞の付いた曲の数々である“構成”シリーズ、および「2つの高度な即興/構成のコンビネーション」を続けている。

ほとんどの曲は僕たちが自分たちで「鶏小屋」にて、teac 4-チャンネルレコーダで録音した。
その「構成によるレコード」は「Schlagerns Müstik」(サイレンス社SRS4640 B)と呼ばれる。それらの2枚のレコードを僕たちは、スウェーデンの奇妙な音楽界における意識を高め、聴覚をより敏感にすることを狙って、ダブルアルバムとしてリリースすることを選んだ。この2枚のアルバムが議論を巻き起こし、イギリスで1978年3月1-12日に実施したツアーまで少し我々の「音楽の動き」を高めてくれることを願う。
「反体制ロック」と集合的に呼ばれる動きの中で、幾つかのヨーロッパのバンド(5グループ)はコンサートを数回開催した。
協力したもの達全員に共通だったのは、彼らが自分たちの音楽の形式の発展において妥協を許さないという点である。サムラのへの興味は企画者の間だけでなく、聴衆の間でも大きくて、その後ヨーロッパ内でのツアーが続いた。

! We are not alone !

(以下当時のコンタクト先、ディスコグラフィー。翻訳家による訳出を、本座村が修正。青っぽい字の部分は、本座村による注釈。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 5日 (月)

st-11 再掲2

再び、過去に別のブログに書いた記事の再掲です。

============================2007年11月3日

(番外編)続・Lars Hollmer - Viandra

Lars-and-his-House.jpg続きです。
発売日になりました、しかし実は私もまだ到着待ちで、改めて作品を聴いてはいません。にもかかわらず、と前置きして。一旦切ったのは、「ヴィアンドラ」未聴の方は読まない方がよさそうなことだから、発売日を待っていたのです。というのは。

今年1月、Chickenhouseで話している最中ラーシュは、興が乗っていたせいか、まるでその時の話の流れとは関係無しに、こぶしを握り締め振り下ろし、きわめて強い調子でこう言いました。
Music is MY EXPRESSION! これは絶対に譲れないことだ!」大変な力説、大演説でした。正直言って、そんなにリキまなくても…と思ってしまいました。
だってラーシュの音楽が大好きでずっと聴いてきた私には、彼の音楽、特にソロ作品は、内面的な必然性に基づく、彼のパーソナルな表出であることは自明だったからです。彼の音楽はほとんどインストだけど、プログレだのトラッドだの北欧だの言うよりむしろ、まるで自己の内面を吐露するフォークシンガーのように、雄弁に彼自身を語るものだと思っていたからです。
たとえば前述した「Viandra」は、とてもピースフルで心やすらぐ曲です。だがこれは「癒し系の曲を作ってやろう」として作られた曲なのでしょうか?そうじゃない。彼が、自分はこういう心やすらぐ時を経験した、それを音楽表現に変えて記録に留め、皆に届けたかったという事なんだろうと思います。

ただ、彼が経験した事とは具体的には何だったのか?という話になると、答えは簡単には出ません。だって歌詞も無ければ解説も無い、タイトルのみが付与されたインストの楽曲ですから。それを想像、共感することはできます、「ああ、何かよほど楽しいことがあったんだろうな」とか。それが彼のソロ作を、旧友からの便りのように待ってしまう理由であり、作品の楽しみ方でもあります。


しかし。彼自身が、具体的に曲の由来を語ってくれるなら、話は別です。私はわずかですが、「Viandra」についてそういう話を聴けました。ちなみにサムラの「Klossa Knapitatet」のLP付属リーフレットには、サムラのそういう「曲の成り立ち」について触れている部分があって、ファンにはとても興味深いものになっています。
でもこの「曲の成り立ち」って、いわば楽曲の「種明かし」みたいなもので、聴く前から知るのは、推理小説を読む前に真犯人の名前を教えられるようなものじゃないでしょうか。だから以下は、できれば「Viandra」を何度も聴いた方のみ読んでいただければと思うのです。







     激しいパートと穏やかなパートが交互に現れる曲
L「これは私が、何か困難な課題に取り組んでいる時のストレスを表現した曲なんだ。ガガガガガーッと取り組む、やっつける!…ハァハァ、ちょっと一息入れよう。…また、ガガガガガーッ!…まあまあ、ちょっと落ち着いて考えよう。それの繰り返しなんだ。」

     Folkdronという曲
これについてラーシュは、「アルバム最後の曲にするつもりだ」としか言いませんでした。
彼にかつて、こういう曲は無かった。悲劇的なトーン。不安と絶望に満ちた気分で出口の見えない迷路を行くような、そんな雰囲気。
お気楽な評論家なら「新しい趣向」などと喜べるかもしれません。しかし上記のような受け止め方で彼の音楽を聴いてきた人なら、こう思わずにはいられないでしょう。「どうしたの?ラーシュ、あなたに何があったんだ?」


その後の話の中で、彼はこう言いました。

「日本での経験を経て、私の人生は、完全に、完・全・に!変わってしまった。私は、不幸な男だ。」

私は、彼の今日の不幸を、5年前に予期していました。100%とは言わないが、まずそうなるだろうと思っていました。しかし私には、それを止める術が無かった。そして予想が外れる、紙のように薄い可能性に期待をつないでいたのです。しかし、それは叶わなかった。
以上です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

st-10 再掲1

’07年10・11月、このブログを作る前に、別のブログに書いた記事を再掲します。以下引用です。

============================2007年10月29日

(番外編)Lars Hollmer - Viandra

VIANDRA+FOLKDRON.jpgブログの趣旨からすると余談になりますが、どうかご容赦ください。なにしろ私の世界最愛のロックバンド、サムラ・ママス・マンナのメンバーで、世界最愛のミュージシャン、ラーシュ・ホルメル「ヴィアンドラ」が発売されるのです。7年ぶりの新譜です。

「ファンならマスト。」という文句にどれだけの意味があるのか不明です。だってファンなら新作買うのは当然だし。しかし、彼を知らない人が興味を持ってくれたら、と思います。だって、案の定の傑作なんですから!というのは…
先述したように今年の1月末、ウプサラの彼の自宅を訪れたのですが、その時製作途中だったこの作品を、彼のスタジオChickenhouseで聴かせていただいたのです。その様子を書いておこうと思いました。スタジオには半日ほどお邪魔して2人きり、拙い英語で必死で話をしたわけですが、ここでは新作の話に絞って、記憶を頼りにレポートしたいと思います。

Chickenhouse
に入った私は言いました。「ここにかつて、何度か来ましたよ。夢の中で。」本当のことです。ラーシュは「そして今、君は本当にいるわけだ」と言って、満面の笑みを返してくれました。当然だけど、事前のイメージとはやや違う。ログハウスの壁から天井まで、数限りないメモラビリアが貼り付けられ、窓際や壁際にはマンドリンとかカリンバとかの手持ち楽器が数知れず。メインコンソールはMac、その横にキーボード。革貼りの低いソファーで、彼が作ってくれたサンドイッチとコーヒーをいただきながら、いきなり新作の音源を聴かされました。Macと繋がった大きなスピーカーは、底部に詰め込まれたスポンジも露わだけど、すごくいい音。なにしろスタジオも自分で建築しちゃう人です、これもハンドメイドなんだろうな。


製作途中の新作をPCの画面で操作しながら、「今トータルで43分だ。もう1~2曲加えようと思っている。」以前から彼のソロ作は、録り溜めてきたアイテムの発表と録り降ろしの2パターンがあると思っていたけど、今回は後者みたい。以下、メモを取れなかったので、曲名は一部を除いて不確かですが、どうかご容赦ください。というか、聴けばわかるさ!

     L「メロトロンサウンドを使ったんだ。どうだい?」
私「え、メロトロン嫌いだったんじゃ?」
L「いやいや、サウンドはメランコリックで好きだよ」
どうやら生メロトロンの操作のやっかいさがお嫌いなようです。サンプラーならOKか。これがタイトル曲、Viandra。アコーディオンとメロトロンのみのシンプルな絡みですが、彼の本流とも言うべき、安らぎに満ちたメロディー。アコーディオンはタメにタメたリズムで奏でられます。サムラでのツッコミとは対照的で、ノリを使い分けてるのか?いや、きっと天然なんだろうと思うのですが。

     L「サンチャゴのソロはアドリブなんだよ。いいだろ、彼!」
10年前のソロ「アンデターク」以来の付き合いになるヴァイオリン、Santiago Jiminez彼には全幅の信頼を置いているようです。曲に沿った、美しいソロです。しかし一方で、向島ゆり子さんのヴァイオリンについても、彼は何度も熱く語っていました。あれはもう、共演者としてどうこうじゃない、単なるファンなのでは…

     L「これどうだい、ホッ、ホッ、ホッ、」
とか言いながら踊り始めて、いや、飛び跳ね始めてしまう彼、というか私も。ダンサブルと言って語弊があるようなら、ジャンプしたくなるような曲。これも彼のソロなら、欠かせないね。

     L「昔の映画みたいだろ?」
うん、モノクロ時代の映画のサントラみたい。彼はやっぱり、リアリストを気取ってみても、結局ロマンチストなんだな…

ここで一旦切ります。続きはまた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月13日 (月)

st-9 Lars' comment on Progg.se

Lars' comment on Progg.se

承前

Progg.seのサムラゲストブックでは、「Hasse」の発言を受けて多くのレスポンスがありました。その中のPutte氏に「Lars」が答えています。以下再び、
http://www.progg.se/band.asp?ID=171&kom=99&sida=2
からの引用、訳出です。翻訳家に依頼しました。

Lars
2005-06-25 19:20

Putteへの返事。
ブリュニウソンとサムラの論争に関する事実。
1976年に当時のSMMのメンバー間でグループ名を使用するには少なくともグループのメンバー3人がいないといけないと合意した。これはグループの個性を保つことを保障する為である。コステ・アペトレアは76年の秋にサムラを脱退し、77年にエイノ・ハーパラが彼の代わりにメンバーになった。90年にサムラが活動再開した時、その合意はそのままで、アペトレアが戻ってきた。
99年にブリュニウソンはグループ(ホルマー、アペトレア、クランツ)と自身との間でしばらく対立があった後に自発的にサムラを辞めた。
2000年8月にブリュニウソンは秘密裏にサムラ・ママス・マンナという名前(及び、それに伴って例えばZamla Mammaz Mannaの様に似た名前も)に関する権利をストックホルムPRV(特許及び商標登録局)に出願した。その登録は01年8月に法的な効力を認められた。(#347562)
サムラのグループ(ホルマー、アペトレア、クランツ)が01年9月/10月にこれを知った時、前記のメンバーは76年の合意に基づいて、商標登録に反対し、登録を取り消すよう要求する共同の手紙をブルーニュソンに書いた。その時までにサムラはブリュニウソンの代理を見つけており(吉田達也)、新しいツアーを企画していた。
ブリュニウソンはグループのメンバーとのコミュニケーションを全て拒否し、送られてきた手紙にも返信しなかった。ただし、ある機会にサムラが何をして良いのか、してはいけないのかという要件についてコメントしている。ブリュニウソンは、以前のグループ内の合意に反して、自分自身のサムラを作りたがったうえに、そのグループ名で新しいメンバーを使って、新しいソロアルバムをリリースしたがった。
色々沈降があり(取り分け日本のユーロロックプレスマガジンのブリュニウソンのインタビューでは真実でないことが幾つか述べられた)、コミュニケーションが不通であった後、サムラは結局弁護士に連絡を取り、事が遂行するまで1年以上かかって双方は手紙のやり取りをした。
2002年7月にサムラはブリュニウソンに呼出状を送達した。ラーシュ・ホルマーが法的保護下にある唯一の人であったため、リーダーとなったが、呼出状はホルマー、アペトレア、ラーシュ・クランツの名前にて書かれた。
2003年11月双方は訴訟を避ける目的で和解の協議のため集まった。ブリュニウソンは再び2つのサムラが結成され、1つは彼自身のグループでもう1つはサムラになるべきで、それが受け入れられないのならばそのグループ名は使用禁止にするべきだとの意見を表した。
当然のことながらサムラはそれを受け入れることは出来なかった。けれども2004年1月にサムラはこのプロセスを終わりにする為、その名前をブルーニュソンが登録する事を無条件で期間を決めないで受け入れた。
3月にサムラの弁護士はブリュニウソンより、サムラ・ママス・マンナの名前の登録をラーシュ・ホルマーに譲渡し、ホルマー(即ち、サムラ)がブリュニウソンの弁護士費用を支払うことを想定するとの手紙を受け取った。
初め、サムラはこれに同意する事を拒否したが、弁護士と相談した後、このプロセスがこれ以上長引くことのリスク(その時点で既に3年半が経っていた)、裁判にかかる費用、負けた側の推定損害額を考慮してその和解案を受け入れることにしたが、1976年当初の合意が未だ適用するという事を付け加えた。
というのが現在の状況である。
ブリュニウソンがこれら全てを始める前に戻ったってことさ。
それだけの時間と手間をかける価値があったのか????
取るに足らないことに、こんなくそ大変なこと・・・・

'76年時点でのサムラ名義使用についての取り決めはおそらく、CA…その頃サムラでの演奏に倦み、対外試合も増えて、バンドを飛び出すことに誘惑されていたCosteを意識した念書だったのでしょう。CA脱退後、SMMはZMMと改名したわけだし。それはともかく。

上記をEuro Rock Press誌14号の記事と併読すれば、LH側の怒りがわかるはず。昨年会った時点でもLHは、HBの話になるととても感情的になるのでした。ただしその後の私信で、今はHBの幸福を願うという趣旨の事を言っていましたが、それでも今後LHとHBが共演する可能性は、相当小さいのではないかと思っています。前述した通り、LHはサムラへの吉田達也の参加を、大変喜び、誇ってもいたからです。

一方HB側の主張は「Euro Rock Press」誌の他に、SMM mailing listで彼の旧友Per Nordinを介したコメントが発信されたことがあります。HBが脱退してから商標登録するまでの時期だったと思います。引用はしません、簡単にまとめるとやはりバンド主導権の話でしたが、行間を読むべき記事だったと思います。

Samla_in_oslo 写真は'97年12月、オスロの中華料理店でのSamla Mammas Manna、私が撮影しました。メガネの若い男はこの日のライヴを主宰した地元プログレサークルの人で、Sangioveseというアマチュアバンドをやっていました。今はどうしてるのかな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

st-8 Hasse's comment on Progg.se

Hasse's comment on Progg.se

ブログ「崖マチグア」Lars Hollmer - Viandraの評を読みました。私の記事を含むいろんな見聞を踏まえて、素直な感想を書いておられました。私は誰かがSamla関連について触れた文章を読むのが、何であれ大好きです。わけてもそれが、クリシェに染まらない率直な感想である場合、もうひとつ、筆者が若い人である場合、なおさら嬉しくなるのです。世代も国籍も関係無く、若くしてサムラを「発見して興奮している人」が、本当に羨ましいですよ!いくつかの引用があったので、それに参考資料を加える意味で、この訳出を紹介しようと思います。

「Progg.se」はスウェーデンのサイトです。'67年から'84年までと時期を区切った扱いですが、かの国の「Progg」シーンについて詳しく取り上げていて、情報の蓄積度がすごい、全てスウェーデン語なのが難ですが。網羅された各ミュージシャンのページには、紹介文・リンク集・ディスコグラフィと、ゲストブックもあります。サムラのページのゲストブックは
http://www.progg.se/band.asp?ID=171&kom=99&sida=2
ここに「Hasse」「Lars」という名での投稿があります。'00~'04年にかけての「Samla Mammas Manna」名義使用についての法的なやり取りについて触れています。まず、「Hasse」のコメント。これを、ニュートラルな翻訳家に依頼して訳出してもらったものを引用します。併せて「Euro Rock Press」誌14号での両者のコメントを読んでいただければ幸いです。

Hasse
2004-07-21 23:16

和解協定

ラーシュ・ホルマー480721-2032,及びハンス・ブリュニウソン501201-1432,は以下の和解協定を結んだ。

背景

ラーシュ・ホルマー、ラーシュ・クランツ、コステ・アペトレア、吉田達也は音楽バンド、サムラ・ママス・マンナ(SMM)のメンバーである。1999年にハンス・ブリュニウソンはこのバンドでの音楽活動を辞めた。過去にはその他の人がバンドのメンバーであったこともあった。

2000年にハンス・ブリュニウソンはSMMという名前の商標登録を独自で申し込んだ。PRV(特許及び商標登録局)はその商標登録を番号 347562で登録した。(商標登録)

その後ラーシュ・ホルマーはウプサラ地方裁判所に、その商標登録を無効にするように、そして基本としてその商標登録が、これまでのメンバーのバンド活動で既に使用されており、数人のバンドメンバー全員の財産であり、ハンス・ブリュニウソンが独自でその商標登録権を得ることが可能な訳はなく、訴訟を起こす申し込みをした (訴訟T2278-03)。

ハンス・ブリュニウソンはこれに対して異議を申し立てた。

上記の背景に対して、両者は以下の和解協定を結んだ。

1.ハンス・ブリュニウソンは商標登録の権利をラーシュ・ホルマーに明け渡し、ラーシュ・ホルマー自身がこの商標の保有者として明示される。

2.ラーシュ・ホルマーはこの再登録にかかる全ての手数料をPRVに支払う。

3.ラーシュ・ホルマーは裁判費用の代償金としてハンス・ブリュニウソンに21000クローネ及びそのVAT(消費税)を支払う。その他に関しては双方が自身の裁判費用を負担する。

4.この和解合意が有効となる前提条件はウプサラ県保険局がアンダーシュ・ブローバリのそれまでのコストも含めてラーシュ・ホルマーに補償金を支払うことである。

5.PRVが商標登録の転送を登録した後は、ラーシュ・ホルマーはウップサラ地方裁判所にて発言権を回復する。

この和解において双方の未解決事項はウップサラ地方裁判所、訴訟T 2278/03にて最終的に解決したものとする。

ファールン2004年4月6日、ラーシュ・ホルマーの代理人、弁護士、ポントス・セルダーマン

ストックホルム、2004年4月12日、ハンス・ブリュニウソンの代理人、弁護士、アンダーシュ・ブローバリ

サムラの名義使用を巡る争いは、裁判で勝負がついたわけではなく、事実は金銭による法的和解で、LH側が名義使用権を買い取る形だった、ただしそれは保険で補われた、という話です。続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月29日 (土)

st-7 Klossa Knapitatet back cover text

Klossacoverback Klossa Knapitatetのジャケ裏に記載された文章の引用。原文を元に、Lars Hollmerの協力を得て、翻訳家が訳したものを、私が部分的に手直ししています。それでも不正確な部分は含まれると思います。

あらゆる人に関わるテーマについて、どう書けばいいんだろう
「Allers」(あらゆる人。
また当時流行っていた雑誌の名前でもある)そして「Each of us」(各個人)の世界について
僕らは共有意識をもって理論を支配したのさ
義務を負っている自分たちを見た
前例の無いことばかりで、血が喉に広がるようだった
音楽を造る創造性が水族館の水みたいに沈みこんでしまった
最後には全てが底に沈む所で
汲み上げられた
ゆっくりしろよ “ヒーロー”と俺は叫んだ
嘲笑的で、スケッチみたいに聞こえた
手段の注釈が失われ、アイデアがレモネードソーダみたいに思えたら、どうすればいいんだい?
それは、子供がスプーンを使って食べる代わりに、皿から食べ物を手で取ってスプーンの上にのせるようなものさ
この乖離を決して忘れるな、鮮明に覚えておきな
詳しい状況が“なすべきこと”であるとき
ピザを5枚焼く、何かしないと!
何か説明出来ない事を追うために
球根は芽を出す事を許されなかった!って君は言う
その形に近づく事も出来なかった
そんな球根は小さなどんぐりみたいに見えた
でもどんぐりになる前に種があるさ
実際はそんな事ないけどね
掬いだせ、あまりゼイゼイいわず、もしお粥が皆にあるならどの木を再生させればいいんだ
僕らは皆どこかに閉じ込められている
“Cyng”霧、TBT月ジュースの我々
求められているのは、自分達がなりたい様に生きる事さ

以上、左半分の文章。韻を踏んでいる部分が多く、LHはこの奇妙なポエムが今でもお気に入りだそうです。続いて右半分の文章。

ちょうどこれを書いている今、僕らは転換期にきている。
Måltidのカバー裏に書いた君たちとの自発的な連帯感は
今現在、一緒にうまくやれてなくて、喉に引っかかっている問題だ。
例えば300キロの旅の後でどうやって、毎晩自発的にやれるんだい?
観客の多くが、珍奇なアイドルであるSMMをチェックしに来ている事が分かっていて、
どうやって聴衆との一体感を創り出せるんだい?
自発的な音楽造りが僕らの仕事であるにも関わらず、それが一般的な生活水準の収入を求めることを、どう説明するんだい?
前作リリース後の1年間の忙しいツアーで、このことや他の多くの問題が、僕らが生きてる社会が原因になっていることに気付かされた。
この経験の結果、僕らは自分達がもっと政治に意識を向ける事を義務と捉えるようになった。
僕ら自身のペースでね。

以上、ジャケ裏の左右に、異なる筆跡で書かれているわけです。私はLHとHasse Bruniussonの手書きによるものだろうと思っていたのですが、LHに確認したら、返事は…

よく覚えていないが、私とHBの筆跡は明らかな特徴があるから、それは違う。Coste ApetreaとLars Krantsが書いたのではないかと思うが、確かではない。しかし内容は、バンドの総意だ。私はジャケット表の殴り書きの文字ほとんどを書いた。HBがそれに色々と書き足している。たとえば左上の部分で、逆向きにいくつもの単語を書き足しているのがHBだ。(LHのメールから要約)

ということでした。もうひとつ、裏ジャケの写真は、サムラのツアーバスの内側から取ったもので、ワイパーに挟まっているのはパーキングチケットだとのことでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月23日 (日)

st-6 Klossa Knapitatet leaflet-5

Leaflet1 承前、リーフレットの裏ページ。

Joseph: Samla, Kebnekaise, Nynningen 等とプロとしてのグループを作るかい?実際それらは何か機能を果たしてるのか?それなしでも僕らはやっていけるかい?

Coste: それが問題なんだよ。じゃなければ誰も演奏場所に来ないよ、彼らは名前のある奴のいる所にしか集まりたがらないのさ。つまり色んなタイプのアイドルのね。演奏している僕らがそのイメージというか、姿に上手に当てはまるかどうかにかかってるんだ。

Joseph: 俺はそれは難しいと思う。周りの事全ては色んな意味で有名になることに繋がっているんだ。新聞、インタビュー、ラジオ番組、テレビ番組、評論家、ファンなどにね。レコードを造る全ての人に影響するし、レコードについて書く人達にも影響する。
彼らは何かについて何か言ってるってだけで特別だと信じ始めている。“大衆”っていうのは“俺はこれが得意だからどうするか分かっている”とか、“何年もこれをしてきたから分かってる”等という“自分”とはもちろん違う。
スタイルを作る人にもなれる。人々は“積雪する”、そう、物事に固定されるんだ。有名になった後、多くのバンドがHoola Bandoola Band の様に聞こえるよう努力してるって考えてごらん!他の言葉で言うと、一部の人は君たちの音楽に感化され、同じ様に聞こえるように努力する。スタイルは真似しているけれど、たぶん内容に関しては真似していないだろう。君たちは何ていうか権威になるって事だね。

Hasse: そうするとレコードは考えたことの逆説現象で、それも取り上げないといけない。それは権威として作用するって事。

Coste: でも僕はそんな事全部関わらなくっていいと信じるなんて、すごい理想だと思うね。

Joseph: もちろん、はっきりしている事を取り去る事は出来るさ。

Coste: 手本となるもの、アイデアを取り除く事は出来る。対抗する、でもそういう権威が完全になくなる事を計算に入れる事は絶対に出来ない。少なくともこの役割に於いてはね。他の社会でも無理なのに、この社会ではね。

Joseph: 僕はそれに完全に同意出来ないな。取り合えず、それを目標として必死でやる事は出来る。それは難しいことだよ。そうすると、自分が鼓吹した事に自分自身が直接はまってしまった事になるけど。

バンド自体の運営について、悩んでいたようです。理想と現実…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

st-5 Klossa Knapitatet leaflet-4

承前、リーフレット内側、後半。

Coste: 彼らは騙されたと感じていて、ただ払った分の元を取りたいと思っているのさ。Brygerrietのために演奏した、ストックホルムのヤーラシアターでは本当にすごかったよな。俺たちはジャムって、ただジャムり続けた。曲は1曲もやらなかった。そうしたら聴衆が前にやってきてしゃべりかけるのさ。誰かが前に来て俺にこう言った「君たちが楽曲を演奏しないのはひどいよ。何で演奏しないんだい?君たちの曲を聞くためにお金を払って来てるんだ。何か有名な曲をやってくれよ。今やっているのは僕達にとってすごく分かりにくいよ。」
‐「どうしてだよ。」と俺は言って彼らと話す努力をした。「君たちが聞きたがっているからって俺たちがじゃあそうするって言うべきかな。これじゃダメなのか。これは好きじゃないっていう事かい?」
‐う~ん、実際良いとは思ったさ。でも、それを聞きにここに来ているわけでは無いからね。
‐そうだな、確かに良い演奏だったとは言えないけど、それは俺たちがあまり調子が良くないからなんだ。俺たちはいつも良いものを生み出せるわけではないからね。
‐それはそうだけど、僕達はお金を払って来てるんだよ・・・
とこんな風にずっと続いたのさ。

Joseph: 君らが彼らの言い分も理解できるといいけど、どうだい?

Coste: もちろんだよ。

Håkan: ファンをヒートアップさせる歌や歌の一節がたまにあって、最初に君たち自身もそれによってちょっと“ヒートアップしている”時には楽しいけれど、しばらくするとそれらの歌を、自分たちはまだ始める気分じゃないのに、ファンの気持ちを高めるための小細工として使うことが出来ると気づくっていう事について少し話をした事があるよな。 そうするとファンに対する一種の侮辱のようなものが出てくるリスクがあると思わないかい?君たちは時々彼らの感情をそういう風にうまく操っているんだよ。

Coste: それはやっているよ。でもそれをやっているのは時々だし、一瞬だよ。けどそういう時はファンにそう言っている。それはよくやっている事さ。例えば「みんな、立ち上がって」「やっぱり座って」「いや、やっぱり立って」とかね。でも、そういう時はすごく明らさまにするから、彼らはもちろん分かっているよ。もちろん時にはそういう事を意識しないでやっていることもあると思うけど。

Hakan: ファンが君たちがどういう風に演奏するかについて期待している事があるとき、君たちはその期待に応えようとしたがらないで、その代わり、そのまま続けるよな。そういう時はどうなるんだい?

Hasse: どういう風に聞こえるか分からないよ。

Coste: そうじゃなくて不安定になるけど、そのまま続けて新しい領域に滑り込んでいくってことに気づくんだよな?それで、昔成功したことを引きずっているんだ。それから新しいことを見つけて、そうしたら実際その新しい“世界”で続けてはいない事になるのさ。
Lasse H: 俺たちは、君たちが俺たちに何を期待しているのかということに直接配慮をしないで、自分たち自身がこのレコードでどういう過程にいるのか、レコードに何を求めているのかを示すことを選択したんだ。

Coste: このレコードではこれまでに比べてかなりオープンだったよな・・・まあ、確かにモールティード(Måltid)のレコードでもオープンだったけど‐でもテーマや形式を決めずにコミュニケーションを取っているし、完全に自由に自分達を一緒に表現しているというような事をとっても、これはもっと開けっぴろげだって言えるよな・・・

Lasse H: 音楽はいつもテーマに滑り込むもので、いつも特定の形式に入れられる。そしてテーマの枠内でそこから発展させていき、即興でやっていくのさ。その範囲外にすべり出てしまったら、“はみ出している”と言われるよ。でも俺たちはここでは直接ゼロから始めて、“反社会的な音楽”を作っている。そうだな~、でも実際はそれとも違うんだよな。それはすごく社会的な音楽で、つまり一枚の写真を演奏しているようなものなんだ。

サムラの「客いじり」を、私は'97年12月オスロのライヴで経験しました。サムラは観客全員に立ち上がるよう求め、♪Oh Sa Masalana~を繰り返す変な歌を歌うよう要求しました。ちと強引な感じがしましたが、それでなんか楽しいムードが広がって、その後観客のウケも反応が良くなった気がしました。「Kaka」の3曲目で、その時の様子を聴く事ができます。後半は、なんか難しい話をしてますね…とにかく勝手に気の向くまま、というかそれをどこまで通せるか、みたいな感じでレコードやステージを作っていたのだろうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

st-4 Klossa Knapitatet leaflet-3

Leafret4 承前、リーフレット内側の中盤。

Joseph: 君たちは保育園でも演奏した事あるよね。その時はどうだったの?

Hasse: Costeが一緒だった最初の演奏はペッターシュルンドの保育園だったよね。あれはすごい経験だったと僕は思うよ。

Coste: 最初俺らは注意深く演奏し始めた。控えめに、注意深くね。俺達は大きな楽器を持っていって、一つのホールに全部を投げ入れた。子供達は3-4歳、大きい子でも7歳で、ちょっと何て言うか・・・物が溢れていた。それで俺達は軽くピアノを弾き始めた。まず、ある歌の一部分をしばらく歌った。それから何か別のことをしないといけなくなったから、演奏していたLasseが音楽の先生になって、インディアンの音楽の色々な曲をやったんだ。俺達はインディアンの曲を演奏し、LasseとHasseが走って出て行き、俺とLasseは音だけを出していた。それで、子供達が例えば魚になるように指示すると、すごく深い洞察力を発揮していたよ・・・

Hasse: クラスの半分が魚の群れで、ある方向へ向かい、残りの半分が別の群れで反対の方向へ向かった。それでその二つの群れがぶつかって床に這って、椅子に座って見ていた保母さんたちはトロール網になって群れから魚を捕まえるんだ。
で、俺達は魚釣り用のエコーがあれば良かったと思いついて、カーテンを引っ張って来ようと決めたんだ。

Coste:あ、暗くなったぞ・・・

Hasse:海の音や、波の音、嵐を描写して・・・

Coste:すごい曲になったよ・・・

Joseph: 俺達が話した多くの音楽公会堂が経済的に無頓着だっていう話-彼らに全く金が無くて運営していくのにお金をもらわないといけないってことではないんだ。しばらくしたら終わってしまう構成段階の一つに過ぎない。

Coste: ああ、それは違うさ‐それは純粋に、本当に無意識なんだ‐理想主義との組み合わせによる組織の無意識さ‐もちろん彼らはたくさんの金が欲しいわけでは無いからね。例えばSprangkullenのような、ゼロから始めて経済的にやっていけている典型的な場所がある。彼らは明確で、シンプルなポリシーを持っている‐バンドは金が貰え、それプラス彼ら、つまりSprangkullenが自分達も経済的に安定できるように収入を確保している。
でも田舎に行くと他の一つ又はそれ以上のバンドと一緒に演奏に来る。そして例えばそのホールが入場に1人当たり3クローネ取ったとする‐Samlaが500クローネをもらってそれを分けるとする、例え多くの客が集まったとしてもコンサートをアレンジした人達にはほとんど何も入ってないって事になるよな?

Joseph: 確かにパンチ(アルコール)みたいなもんだよな。人々は他の事に走り回って入場料に10クローネ払ったり、ビールやなんかに10クローネ払うんだ。

Hasse: それが俺の言っている意味さ。つまり、“非商業主義”、“プログレッシブ”、“反帝国主義”に頭を突っ込むってことさ。

Joseph: ああ、税金という方法なら全てがタダって言うのは良い事さ。

Hasse: その通りさ。概念を壊し、文化にはお金が掛かるものではなく、文化を享受するのは人間の権利みたいなものって言ってるのさ。インフレを知らない幾つかの場所ではすごくやりにくいんだ。もちろん、音楽や文化にもインフレは影響してくるからね(ホールの色々なところからくすくす笑い)。何でも高くなるのさ、ミュージシャンの生活経費もね。でもそれは見てみぬふりをされる。何かはっきりしない、直感的なグループ連帯感が音楽会場同士と会員同士の間にある。でも、政治的になってグランドサークル*に入ることを少し恐れているんだ。どこかのグランドサークルに入ったことのある人を聞いてみると、ビックリする結果が出るさ。(*グランドサークル=異なる政治的機関において基本的な事実・理論を学ぶスタディグループのこと)

Joseph: 分かったよ。今のは問題に対してブーブー不満を言ってるだけだよ‐解決方法は何だよ?色々なタイプのグランドサークルかい?

Hasse: ああ、一部のところでは実際そうだな。例えば、ウップサラ音楽フォーラムは異なる派閥がそれぞれの立場、政策やプログラムを発表出来るようにするべきだよ。それか、少なくとも全ての左よりのグループからの啓発からもっと学ぶことができるようになると思うよ。今までしてきたように音楽に多大な信頼を置いて、音楽が世界を変えることが出来ると信じるのは止したほうがいい。結局のところ、音楽の力はそこまで大きくはないんだから。ダメだ~、俺達はポップバンドの装備を売ってマシーンガンを買っているようなものさ!(くすくす笑い)

Coste: このレコードで俺らがやったのは、過ぎ去った74年に創りあげたマテリアルのほとんど残したままにしていて、それをLPにのせたってことさ。それと一部に関してはそれを残したままにしておきたいと云うことを明確にしたんだよな?俺達の新しいやり方を模索している。その中でもとりわけ俺らが求めている新しいやり方っていうのは即興での演奏の仕方なんだよ。

Hasse: “俺達に即興でやらせろ・・・俺達のやっている事が知らないことでも不安に感じる必要はない。”人々は俺達のやっている事が分からないと不安に思うものだからね。“曲を演奏するんだ。”“今すぐ曲を演奏するんだ”。

どなたか、保育園で演奏したプログレバンドを他にご存知でしたら教えてください。その後は音楽ムーヴメントにおける運営組織のこと、そして即興演奏への興味が語られている。型通りの曲・プログラムでコンサートをやることからはかけ離れた地平で、サムラはあの時代を過ごしていて、即興もその自然な流れだったことが想像されます。ハッセは「プログレッシヴ」という言葉を使っていますが、ジャケ画の落書き?にも、「鳥人間」の左手のそばに、その文字が見えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

st-3 Klossa Knapitatet leaflet-2

Leaflet3 承前、リーフレットの内側、前半。

Joseph: 人々が音楽を聴きに行って知っているのは一緒に行く友達2人か、3人か4人くらいと、顔を見たことがある数人くらいだけど、舞台で起きることやそこに居る他の奴らと一緒に作り出す一体感がある。大事な事、本当の事は舞台の上の人と聴衆みんな、つまりホールに居る全員が本当に他の人との一体感を感じることさ。すると人々はよりオープンな態度でお互いを知る事が出来るし、全く違ったやり方でものごとを始められる。

Coste: それが音楽に喜びを見つけられる時なんだ。つまり人々が一緒に笑い始めた時、本当の姿を見せられる‐最初の仮面を取ったってことさ。

Joseph: そして誰もが持っている子供の部分に気付くことさ。それは残っていると俺は思うよ。育つ過程で一人一人に起きる色んな嫌なこと、大変なことで被われてしまっているだけさ。自然でいるとそのレベルにすごく近くなって、何ていうか自分自身を忘れてしまうんだ。

Coste: そこで俺達は多くの事をしてきた。“言葉についての議論”やそういうこと全てがパーフェクトに当てはまる。要するに小さい子のお喋りさ。もちろん皆が笑うし、1歳の時にしか言えなかったことを言うと皆本音を見せられるようになるんだ。

Hasse: おまるに座ってかがんで・・・

Coste: 座っておならをブーーーーと・・・・

Hasse: そうじゃなくて徐々にセックスにつながっていく緊張というか。実際ちょっとした事なんだ。両方とも解放の仕方に関することだね。

Coste: アーオーアーオーアーアーオーって言った時に見られる人々の反応。それを設置したスピーカーを通じて言うとすごいんだ。そうしたら正真正銘の音になるのさ。

Hasse: 片方は女で、片方は男だろ。それで俺達はお互いに対して働きかける。Lasse Hollmerはいつも女役で、俺達他の奴らは荒い息をしている「男達」なんだ。確かに俺達は多くの場合自然にやってすごく上手く出来たし、聴衆との間にそして俺ら自身の中にも救済の気持ちが芽生えたのさ・・・
最近は聴衆との間に知らない人同士の感覚が時々あって、そんな時俺らはちょっとした法王みたいな態度だったと感じる。そのとき聴衆は受身の状態に置かれていることがある。この期待される役割・・・彼らはSamla Mammas Mannaについて読んで、何を得られるか分かっている。Samlaに何を期待できるか分かっている。それは喜び、自発性と良い音楽さ。彼らはそれが起きるという期待を持ってそこに行く・・・でも彼らは自分達が俺らのクリエーションの一部だって分かっていない。俺らは彼ら無しではやっていけないんだ。人々が持っている俺たちのイメージはファンのおかげで成り立っているんだ。

Hasse: 今日存在するSamlaはファンと一緒に作り上げたものだよ。

Joseph: 多くのグループが殆ど聴衆とのコンタクトを取らない。劇団はまた違っているみたいだけど。一部のグループはね。彼らは劇の上演に一定の目標があるからね。それに大抵彼らは演劇の教育を受けていて、役割を演じることや、態度を変えることが出来て、色々な雰囲気を作り出すために色々な状況を操作することが出来るのさ。

Coste: その通りさ、音楽そのものは役に立たないんだよな?音楽は言うまでも無く演劇と密接に関連しているから、舞台に立つと演劇に接する事が容易になる。それは俺達がしょっちゅうしてきたことなのさ。上手くいく時はすごく解放的なんだ。例えばOskarshamnでの気が狂ったようなことが自然になった時にね。
誰かが突然ステージから消えてファンの間に出てくるのさ。そして俺らの他の誰かも同じように出てくる。俺達の内二人がファンの間に立って拍手をし、他の二人がステージに立って歌う。そういう突然、自発的に起きた事がHelsingforsではあったんだ。そういう時彼らはすごく礼儀正しく音楽を取り込んでいって、ロックンロールのコンサートでよくやるように、Hasseのドラムソロに合わせて手を叩き始め、Hasseは自分のドラムソロの最中に消えた。するとファンは「Hasse, Hasse」と叫んだ。それで俺はギターを置いて彼の後を追いかけた。で、俺達は大笑いした。“俺達は出て行く、二人とも出て行くさ”と俺は言って、ファンの間に駆けていった。それでLasse Krantzが立って彼らの拍手に合わせて歌い、彼らはファンの間に消えていった。それから俺達がファンの間に出てきて一緒に手を叩き始めた。俺達はいたずらっぽく口笛を吹き、喚声をあげ、ファンは「一体何事だい」と思っていた。で、俺達はファンの前に立って、それからファンの真中、ちょうど皆の真中に行って、狂ったように歌い、叫び、手を叩き出した。それを終わりにする事が出来なかったんだ・・・・
最後にはLasse Hollmerもステージの下に降りて、始めたんだ。俺達三人がそこに立って、歌を歌い、手を叩いた。皆はちょっと解放し始めた・・・
オー、アー、オー、アー、オーとLasse Kがステージで拍手にあわせて歌って、ホール内にはものすごい熱気があった。嫌な事が全部無くなったのさ。それは良かったよ。

ライヴにおける観客との一体感の重視、客いじり、ステージから客席に飛び出すこと。確かに今のロックコンサートでは既に一般的になっていることかもしれませんが、当時はどうだったんでしょう?「Måltid」のボーナストラックあたりを思い浮かべながら読むと面白いはず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

st-2 Klossa Knapitatet leaflet-1

Leaflet2 今回はまず、サムラの3rdアルバム「Klossa Knapitatet」に付されていたリーフレットを翻訳紹介したい。LPでは、初期の盤だけに付いていたものと思われる。今回のCD化で、きちんとCDサイズで再現された。まずは写真が見ものです。ライヴの最中にティータイムを取るな!(^^;)そしてテキストですが、以下。これも翻訳家に依頼したもの、ちょっと読みにくい訳文ではありますが…

【Samla Mammas Mannaとの会話】

Silence LP SRS 4627のジャケットテキスト 

Lasse Holmer:このレコードは色んな気分でやったスタジオでの3日間にわたる演奏の成果から、俺達が良いと思うやり方でまとめたものなのさ。

目標は“Måltid(食事時)”と同じ様に、系統だった形式でレコードを始める事。ソフトに始まって、それからすごくハードに系統だった形式にする。時々内省的なことや、少し憂鬱なことを入れ、楽しいことはあまり多く入れていない。で、A面の”Kaninhålet(兎の穴)”の最後のところに商業的なクリーシェにすごく近いものがあって、そこまでずっとプレッシャーをかけられている、というのが俺の経験さ。確かにそれは楽しいけど、こういう曲はクリーシェなのさ。ヒトラーに春をもたらす。もちろんパロディさ、それ自身がクリーシェであるクリーシェのパロディさ。

”Dialektiken(方言)”を通ってこの”Ingenting(Nothing)”から”Kaninhålet(兎の穴)”への成長があって、そこでたくさんの色々な事に関する俺達の音楽的価値観を伝える事が出来る-それは人々の俺らに対する理解と一致する、楽しいことで、特許みたいなすごいものなのさ。そこで人々は「ここでは彼らを理解できる」と言うけど、結局曲の最後の辺りで多分少し不思議に思っているよ。その曲はちょっと非現実的だからね。俺は”Kaninhålet(兎の穴)”をTage(Tage Åsen、レコードのジャケットの絵をPelle Engman, Anders Lidenと共に描いた)の絵が実際少し誇張されているものと感じているんだ。

B面は、乗客を何ていうか管理的に座らせる、ゴットランドフェリーにバスで乗った時に起きたことに感化されて、ちょっと近づいたところから始まる。乗客を特定の場所に座らせ、そこから動けないんだよね。”Musmjölkningsmaskinen(ネズミ用搾乳機)”、レコード全体の中で恐らく一番ハードな曲に繋がる、ひどくタイトな小さな区分に分かれて全体が流れて行く。それぐらいのところまで来られるのさ。このタイトルはある研究者が研究室でねずみからミルクを吸い上げ、その成分を調べる事が出来る小道具を発明したという雑誌のある記事から取った。研究者が“人類の最善になるように”といって人目のつかないところでする、少し優しい(?)形式の、正気でない、“ねずみ学”だ。

全ては地獄へ落ち、そこでは生き物が破片になって床に体積している。そして次のものが来る。身動き出来ない事や、正しさの意味する全てと共にある”Musmjölkningsmaskinen(ネズミ用搾乳機)”に対する反応。系統だったものが崩壊した時、俺らは働き続ける。するとそれは不思議な方法で安定する。一部の人はきっとこう思うだろう:観客の事よりも音楽の事を考える内省的なやり方だと。その内省的なものは今起ころうとしていることに繋がるんだ。例えばアマチュアレベルのアコーディオン演奏さ。アコーディオンに関して俺は全くの初心者なのさ。新しく造るというのが前提にある。初心者だという事、そして初心者になる勇気を持つこと。

そして短いイメージに繋がっていき、そこで俺らは何かを探している。そして一つの演奏がどうやって再び安定するかを聴くことが出来る、俺らが“Ramlösa(炭酸入りミネラルウォーターの商品名)な夜”と呼ぶときにレコードは終わる。俺はこのレコードをそんな風に捕らえている・・・

(ゴットランドフェリー)
(初心者? 虫眼鏡で見てごらん)

Lasse Krantz:その通りさ!

Hasse: それで、レコードはオリジナルに比べて良くないと思う人が多いみたいだけど、それは本当だよ。そういう理解をした人達はすごく正しいと思うよ。

Coste Apetrea: それに関連して、今回はすごく楽しく出来たし、よく出来たと思う-音楽に関してもファンに関しても一貫してハッキリしていたよ。今までよりも外に出て、レコードを完成させる事が出来た・・・、だから成功するはずさ・・・
そして演奏が上手く行くことが当たり前になった時、ステージに立っている時何を言ったかをより明確に判断することが出来るようになった。言った事を取り消すような全体的な感情の中にあまり入り込んでいなかったし、いつも全てがただ浮いていて、一つの大きな共通の考えになった。すると俺達は自分達がステージに立って気の狂ったことをたくさん言っていたと突然気付いた-ただ忌たんなく本当に突然偏見を言っていた。人々がただ馬鹿をしに行った、純粋なコメディ -突然俺達はこの全体的なファンとのコンタクト以外では自分達の事をハッキリさせなかった。俺らは音楽に関してハッキリしなかっただけではなかった。

Hasse:俺達はetyderna(=音楽の箇所)、即興、自発性に関してもハッキリさせなかった。でも、それらはすごく大切な事なんだ・・・何かを秘密にする事は出来ないからね。人は完全に自分を見失ってしまう。自発的であったり、“言葉を話す”又は“赤ちゃん語”を話したりすると、人は単純に偏見の目を向ける。

Coste: 俺達が努力して目指したのは、全体的にファンが酔狂する事で、俺らはそれを全く音楽と関連付けて明確にしなかった。俺らはファンとも話をするべきだった。

Joseph: 多くの人は歌詞を歌う事、具体的なことに関するまっすぐでシンプルなことを言う事しか出来ないと思っている。そして実は楽器を使う音楽というのは何処へ導くことも出来ないと思っている。

Lasse H: ちょっと口を挟ましてもらいたい:オープンであるって事、まっすぐに自然に、出来るだけ多くの人が分かるようになるべくシンプルに話すことはすごく良いことだよ。でも、同時に色々な事を描写することでより大きな発展があるのさ。

(Staffan Evstam, Samla とSunnar Näslundの写真)

人々に刺激を与えるために、物事を描写するのに直接描写するのではなく写真を使うことは、俺達がある特定のやり方で演奏する事によって幾つかの方向に音楽的な刺激を与えるのと同じ様なものさ。でも、俺らの演奏の仕方と、似た物を描写する普通のやり方の違いは何だろう?そうだな~、俺らはそのとき起きる事にどこか後で取り返しのつく破壊をもたらすってことだろうな。そしてこれを分かっている人は、それをして、ずっと長く笑っていられるのさ。そうすると俺達がやっている事が長い目で見られるんだ。
同じ事が歌詞にも言える、直感的な歌詞を書く事にね。例えば“シスター・システム”(=前のレコード:Måltidにある曲の一つ)を取り上げてみよう。結局のところそれは何を言っているのだろう?
-それを知りたいね。
-俺が答えられるなら彼らも分かっているに違いない・・・・でも俺はそれに関して色んなイメージを持っているし、たくさんの人が座ってその歌詞が何を意味しているのか考えている。例えばMusikens MaktのBert Grenをみてごらん:“シスター・システム”が病院の廊下を走り回って、あなたは緑の錠剤一つ、黄色の錠剤一つね・・・と言っている。多くの人はそうしていると俺は思うよ。俺自身はキャリアのある女性をイメージする。保険販売所や、県庁、彼女がどこに座っていようと関係ない。大きな眼鏡をかけて、中身はひどいけど、質問に答えて、すごく色んな事を知っていて、すごく適応している、何て言うか一番適応している・・・・
描写するっていう事は楽しくて、すごく想像を膨らませることが出来る・・・・
-すごく膨らませて誰も理解出来ないってことも在り得るけどね。

(お喋り)

Coste: いつも俺らが演奏したそれらの場所について喋るのは当然のことだった。今そこがどういう風になっていて、俺らが実際にどういう風になって欲しいかについてね。そして俺らはファンとその事について話し合った。
Härnösandはそれがうまくいった最初の場所だった。俺達は最初の部分を休憩の前にプロらしく魅力的に弾きだして、皆を興奮させようとした。俺らは興奮し、ちょっとした反応があったけど、彼らがここに座って俺らをずっとポカンと見ているって事に気付いた。何が原因か分からないけど・・・・彼らは解放されていない。
その場所を世話する仕事の人達がファンに何かを言う勇気がなかったから、俺らに「水曜日にミュージックフォーラムでコンサートをするよって言って下さい」と頼んで、裏で走り回っていた事に気付いた。それで俺はマイクの前に歩いていって、これについて喋った:「君達は何の仕事をしているんだい?この中で役所に勤めている人は何人いる?」「う~ん、あまり多くないな」「じゃあ、一体何をしているんだ?座ってコンサートをこうやってチェックすることとかが、君達がいつもしていることかい?俺達はここで今展示物になったみたいに感じてるんだ」で、俺らはファンに向かって、他の場所ではどういう風にやっているかすごくオープンに話した。
それは攻撃的にさえ聞こえたかもしれない。でもすごく上手くいった-皆に正しく伝わった。その時の会場内の状況を捕らえる為だった。その後は浮世離れした、全く信じられない状況になった。

この作品の構成が、全体で流れを持って構成されていること、いくつかの楽曲の由来、歌詞による表現の抽象性について、あるライヴでの観客の印象と、それでアクションを起こして観客とコミュニケートしたこと、などが語られている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月)

st-1 Måltid back cover text

Maltidback Måltid back cover text

個人的興味から、サムラ関連のスウェーデン語テキストを、スウェーデン語の翻訳家に依頼して、少しづつ訳してもらってきた。それを紹介していきたい。まずはMåltid裏ジャケの文章だ。歌詞は今回の日本盤で訳出されていて、これはLHが英訳して提供したものをさらに邦訳してあるようだ。ただ、LHは、以前来日の準備でそういう努力をしてくれたことがあったんだけど、その時にも「スウェーデン語のニュアンスをきちんと表すのは難しい、これは大意だ」と言っていた。一方私がお願いした翻訳家も、サムラを取り巻く状況についての予備知識が無いから、シュールなテキストに向き合って大変苦労したようだ。だから曲名も含めていろいろと食い違いがあるが、細部の整合性を求めるのはまず無理だろうということで、大意を汲んで欲しい。

食事時
サイド1 

I: Dundret(山)の恵み
マグカップが汗をかき、櫛が髪の毛を引っ張る。
スウェーデンの北の方には一番深い洞窟が在るって知っているかい?
Dundretsの恵み。 こんな風に俺らは興奮し、
言葉を噛み締め、いいものを連想し、想像して鼻歌で御機嫌さ。
でも俺らは賢くなっているかい?そうかい?
―深い穴は、もちろん鉱山さ。Dundretsの恵みは金色の塊さ。
汗も苦労もなく宝物を手にしているけど、雇い主は歯抜けだよ。
もし何年かして石炭が金みたいに価値が出たら、
エネルギー危機になるなんて誰が言った?って話しになるさ

彼らの代表曲、インストだけどコメントが付いている。Dundret は騒音つまり「轟き」の意味だが、またスキー場で有名な山の名前でもある。邦題は「歓喜の轟き」で前者、一方翻訳家は後者と解釈したようだが、ERP誌36号のインタビューを読むと、後者が正しいようだ。

Ⅱ 突然の創作
(スタジオでの演奏、振り返るのが難しい、血のめぐりが良くなるように).

邦題は「不意の出産」。

Ⅲ 復活したメロディ

サイド2

Ⅰ 今朝の民謡

Ⅱ シスター・システム
シスター・システム。僕の脚を返してくれるんだろうね..?
僕が持っているのは薄い赤のフェンネルだけさ。
ひまわりの中で君がすすり泣いていると願うよ。
(洗礼盤) シスター・システム。僕の脚を返してくれるんだろうね..?

Ⅲ サイコロ

ここでは改めて、別の引用を挿入したい。

「ケーキとサイコロ」はトードという名前の、ステータスが大事な妻にキャリアを振り回されている男についてである。ここでは13面あるサイコロは曲のリズムが何度変わるかをあらわしている。」

(Lars Hollmer m.fl. 1969-95より引用 翻訳家に依頼)本作リリース前のインタビューより。

Ⅳ 不況の意味
世紀の不況にも関わらず自分の魂の居場所を見付ける
素晴らしい魂の居場所
力強い影が角に立っている
恥が積み重なっていく
コウノトリの餌が暗い所に生きているとでも思っているのかい?
あいつらはあ~~~という声に驚いてる
ギルバートに友達が出来た
ルルルルルル
シオンは自分の森を捨ててしまった
ルルルルルル
君は石の上で軽く踊っている
人参のピューレを温めている間に・・・・・

邦題は「逆行の世紀」

Ⅴ ミナレット(光塔

これも先のインタビューによると、海底にある光の塔のイメージを伝えているらしい。

Ⅵ 危うく逃れた災難

邦題は「不動産の価格」

-----------------------------------------------------------------------------
僕らはレコードのジャケットの裏をどうするか何度も話し合った。(言葉遊びは舞台の上でもそれ以外でも好きだが)
僕らが、聴いてくれる君らに伝えたいのは、SAMLAが造る集合的な音楽、つまり僕らは一緒に音楽を造っているという事-誰一人としてソロではないし、誰もバックではない。 
僕ら自身が一緒に演奏する努力をする事によって君らとの連帯感を得ようとしているって言えるかもしれない。{喜びは広がるものさ}

僕らはとても感情的で、演奏している時は非常にお互いに依存しているから、何かが欠けると一緒に築いてきたものの殆どがすぐにだめになってしまう。
僕らはそれぐらい弱い、兄貴の背広・・・そしてすごく強いのは、シスター・システム

言葉遊び、つながり、広がり。この頃のサムラは、とりわけそういうことを重視していたようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

crimson grandchildren | photos | samla items | samla news | samla text